緑の党・東海

脱原発アクション

政治の高慢と国民の屈辱

丹羽淳さんが緑の党・東海を代表して、JR春日井駅での市民アクション6区の街宣で、オリンピック反対を訴えました。

政治の高慢と国民の屈辱

「国民の高慢を増長せしめた人々を呪う。すべての不幸はこれに発する」これは仏文学者渡辺一夫氏の『敗戦日記』の一節です。原発事故が起きた年の夏、代々木公園で開催された“さよなら原発10万人集会”において、渡辺一夫の弟子であるという作家の大江健三郎さんは、「私は侮辱の中に生きている」と訴えました。敗戦、原発事故、そしてコロナ禍におけるオリンピック、そこに共通しているものは「政治の高慢と国民の屈辱」です。

コロナ禍で証明された日本の「永続敗戦」

8割の人々がオリンピック開催に反対するなか、菅首相はオリンピックを強行する構えです。これは福島原発事故のあと、世論の反対を押し切って、原発の再稼働を推し進めてきたことと軌を一にするものです。

安全安心と言いながら、オリンピックに突き進む政権の姿は、大本営報道を繰り返し太平洋戦争へ突き進んだ、戦前の日本の姿と重なるものです。

国民の反対世論に対し、菅首相は「五輪開催はIOCが決めることだ」と言い放ちました。政治の無責任はここに極まったといえます。これに対し、NYタイムズはサッカーの元アメリカ代表で、パシフィック大学ジュールズ・ボイコフ教授のコラムを掲載し「科学に耳を傾け、危険な茶番劇を止める時だ」と五輪中止を勧告しました。

まさに、白井聡氏のいう日本の「永続敗戦」がコロナ禍において証明されたといえます。

日本の敗戦を認めず否定し続けるがゆえに、アメリカ言うなりに、永久にこれに逆らうことができない。アンダーコントロールと原発事故をなかったことにしようとすればするほど、福島の被災者の苦悩は深まり、私たちは原発事故の恐怖を永久に持ち続けねばなりません。

このままでは私たちはオリンピックの捨て駒である

平和憲法の改悪をもくろむ自公政権は、アメリカとの軍事協力のため、特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法と平和憲法をないがしろにする法律を作ってきました。さらにコロナ禍において、4月6日、デジタル改革関連法案、6月1日、重要土地等調査規制法案と国民の個人情報と財産を管理する法律を立て続けに成立させてしまいました。

そして今まさに、私たちはオリンピックのための捨て駒にされようとしています。

自公政権は私たちを主権者とみなしていません。なぜならば、敗戦以来、アメリカの属国であることに疑問を感じない政治家に主権国家としての自覚がないからです。

東京では連日国立競技場周辺において、オリンピック反対のデモが行われ、海外に報道されています。早くからオリンピック反対を言い続けてきた久米宏さんは、「今さら反対してもしようがないという世論が、先の大戦を引き起こしたことをみんな忘れています。もう反対するには遅すぎる、という考え方は非常に危険です。日本人のその発想が、どれだけ道を誤らせてきたか」と警鐘を鳴らしています。

秋の選挙で私たちが主権者であることを示そう

昨年末から今年にかけてGoToキャンペーンによる第3波で7500人、イギリス株の第4波で5500人がなくなりました。みなさん覚えていますか。勝負の3週間と言いながら、政治家は飲み食いをして、感染対策は充分であったと開き直っていました。さらにオリンピックを前に西村大臣は「酒の提供を続ける飲食店に対して金融機関への働きかけを要請する」と圧力をかけ、飲食店からは、国民に脅しをかけるのかと怒りの声が上がっています。

みなさん、自公政権に私たちの暮らしは見えていません。私たちはオリンピックの捨て駒ではありません。秋の選挙において、自公の政治家を落選させ、私たちが主権者であることを自公の政治家に思い知らせねばなりません。