緑の党・東海

脱原発アクション

日本は世界の辺境、平和が文化を育てる

緑の党会員のA.Niwaさんが、小牧脱原発パレードでスピーチしました。

安保法制違憲訴訟においてだんまりを決め込む最高裁

9月6日、安保法制違憲訴訟・東京国賠訴訟において、最高裁・第二小法廷は、上告棄却・申立て不受理の決定をしました。弁護団は声明を発表し「安保法制を強行採決してから8年、危惧されたとおり、日本は憲法9条の下で、かつての平和国家から戦争に備えて他国の領域を直接攻撃する能力を保有し、世界第3位の軍事費をも投入しようとする軍事国家へと変貌を遂げつつある」「最高裁は、今一度、憲法によって最高裁に与えられた地位と権能の核心は何なのか、それは何のために与えられたのか、今それを生かさずしていつ生かすのか、真剣に顧みるべきである。我々は、裁判所の職責を放棄した本決定に断固として抗議するとともに、これにいささかも怯むことなく、司法が職責に則りしかるべき判断を下すまで全力で闘い続けることを、改めてここに宣言する」と訴えました。

安保法制違憲訴訟全国ネットワークの内山新吾弁護士は「最高裁が“だんまり”を決め込むなら、私たちが声を上げます」と戦争に反対し平和をつくる決意を述べています。

憲法の番人は、行政の番犬となってしまった

内閣が集団的自衛権を認める安保法制を閣議決定し、立法の場である国会において与党によって選ばれた憲法学者を含め3人の憲法学者が「安保法制は憲法違反」と断言したにもかかわらず、2015年9月、ろくな審議もせず、自公政権は安保法制を成立させてしまいました。閣議決定とは大臣がサインをして印鑑を押す。ただそれだけのことです。行政が肥大化した現在において、閣議決定とは閣僚の踏み絵のようなものです。

今回の最高裁の決定は、日本の司法が憲法の番人としての役割を放棄し、行政に完全に従属する存在となったことを意味するものです。憲法の番人は、行政の番犬となってしまいました。

司法と立法が本来の権威をとりもどすにはどうすれば良いでしょうか。それは私たちがまず選挙に行くことです。選挙の投票率を上げることによって、政治家に対し、主権者である国民の声に耳を傾けさせることができるのです。

汚染水の放射能の実態を把握できていないことに落胆

9月8日、福島県などの住民と漁業者151人が、国と東京電力に対し処理水海洋放出の差し止めを求める訴えを福島地裁に起こしました。

はたして東電は汚染水の放射能の実態を把握しているのでしょうか。東電は64種類の放射性核種、ALPSで除去できる62種とトリチウムと炭素14ですが、これを測定したといっています。しかし、その測定した量は汚染水の総量約134万トンのうちのわずか3.6万トン、全体の2.8%にすぎません。

東電はこのわずかな測定データーをもとに、放射性核種ごとに告示濃度限界という勝手な基準を定め、きわめて理解しづらい比例計算を行っています。本来であれば、東電のいい加減なデーターに対し、きちんと測定しなさいと東電を指導するのが日本政府やIAEAの役割です。ところが、日本政府とIAEAはその役割を果たしていません。太平洋諸島フォーラム・PIF専門家諮問会議の報告書には、きちんと測定することは最低限の基礎であるにもかかわらず、「IAEAがタンクの内容物を統計的に代表できる方法で測定を行うよう主張していないことに驚き、落胆している」と書かれています。

裁判を通し明らかとなる事実を世界の被害者と共有

つまり、汚染水に何がどれだけ含まれているかは不明ということです。あたかもトリチウム以外の放射性物質はすべて除去したかのような報道がなされていますが、それはまったくのでたらめ報道です。回収しきれない汚染水がそのまま護岸から漏れ出ているという説もあります。

9月15日から18日にかけて、国連の気候野心サミットを前に、世界8か国16都市において、日本の核廃棄物海洋放出反対の集会が開かれました。集会は15日ドイツとオーストラリアなど4都市でスタートし、シドニー、メルボルン、東京、名古屋、ソウル、ジャカルタ、イギリス・ウェールズのアベリストウィス、チューリッヒ、ニューヨーク、ロサンゼルスなどで開かれました。

18日、東京では気候危機と原発反対を訴える「フライデーズ・フォー・フューチャー」と「ワタシノミライ」が「さよなら原発1000万人アクション」に合流し、延べ8000人が渋谷、原宿をパレードしました。ニューヨークの集会では、世界の2,149,442人が署名した「グローバルピープル共同声明」を国連に届けるパフォーマンスが行われ、後日、声明は国連へ正式に提出されました。

私たちは処理水海洋放出の被害者です。もっと腹を立てて良いのです。海洋放出差し止め訴訟の裁判を通し、これから明らかとなる事実を世界中の被害者と共有し、日本を含め世界中の人々とともに原発反対の声を上げていきたいと思います。

老朽原発再稼働、原発の善悪をお金に換算することは誤り

9月15日、関電は運転開始から47年10か月となる国内で2番目に古い老朽原発・高浜2号機を再稼働しました。老朽原発の再稼働は美浜3号、高浜1号に続き3基目です。現在稼働可能な12基のうち定期検査中の大飯4号機を除き11基が稼働していることになります。

関電はこれにより燃料費が節約でき、改善効果は原発1基当たり月約60億円、2024年3月期経常利益は過去最高の4250億円を見込んでいるそうです。

しかし、その一方で関電の使用済み核燃料は、後4年で満杯となります。上関に中間貯蔵施設をつくるとか、フランスへ輸送するとか言っていますが、いずれの解決策も付け焼刃にすぎません。フランスへ運ぶという200トンは関電の保有する使用済み核燃料のわずか5%です。9月27日、長崎県対馬市の比田勝尚喜市長は、議会において、核のごみの最終処分場選定に向けた文献調査を受け入れない方針を表明しました。すでに私たちは福島第一原発において取り返しのつかない失敗をしました。原発の善悪をお金に換算することは誤りです。

日本は世界の辺境

さて、ジャニーズの性加害事件が問題となっています。発端はイギリスBBCの報道でした。被害者は、数百人、もしかしたら千人を超えるかもしれないというおぞましい事件ですが、日本では報道されず、警察は何も捜査をしなかったとBBCは伝えています。日本国内では問題にされず海外から指摘されてはじめて問題となるのはなぜでしょうか。

水が高所から低所へ流れるように、文化は中心から辺境へ伝わるといわれます。日本の工業製品や日本食、漫画など、世界に広がる日本文化を見ると、まるで日本が世界の中心であるかのような錯覚を覚えます。しかし、フランス文学者の内田樹さんによれば日本は文化の中心ではありません。実は日本はむしろ文化の辺境なのです。気候危機対策では完全に立ち遅れ、エネルギーシフトもできず、時代遅れの原発にしがみついているのは、おそらく日本が文化の辺境にあるからです。

平和が文化を育てる

考えてみると議会制度、三権分立、人権、選挙制度、民主主義、ジェンダー平等、子供の人権など、その多くを日本は海外から学んできました。そして、まだまだ発展途上といえます。8年前、東京の高級宝石店に強盗が押し入り、日本の警視庁が国際指名手配した犯人がイギリスで捕らえられました。ところが、イギリスの裁判所は8月11日、犯人の日本への引き渡しを認めないという判断をしました。日本では人権が守られていないというのがその理由です。

世界に広がる日本文化は、からくり人形や北斎漫画など江戸時代にその起源があると言われます。つまり鎖国をしていた徳川時代の平和のおかげであるということです。哲学者の柄谷行人さんによれば、アメリカに押しつけられた憲法九条が、戦後、日本に根付いたのはパックス・トクガワーナの太平の世があったからです。

憲法九条のノーベル平和賞で辺境から世界を照らす

経済が沈むなか、今の日本にたった一つ世界に誇れるものがあるとすれば、それは憲法九条です。今年のノーベル平和賞候補に「安保法制違憲訴訟全国ネットワーク」と「9条改憲NO!全国市民アクション」の2つ活動が推薦されています。もし受賞したならば、ノーベル賞という海外の権威を借りて日本国内の平和・護憲運動を盛り上げるとともに、世界が軍備拡大へと進むことを食い止める大きな力になることは確実です。

原発の末路は二通り、事故か廃炉か、壊れるか壊すか、壊れる前に壊す。必ず廃炉にできます。