緑の党・東海

脱原発アクション

使用済み核燃料と三八式歩兵銃の弾丸

緑の党の会員A.Niwaさんが、 週刊金曜日4月2日号に掲載予定 に投稿しました。

旧日本陸軍は三八式歩兵銃という1905年(M38年)に開発された銃を敗戦まで使用し続けた。半藤一利氏の『昭和史 1926-1945』に次のような記述がある。「日本はどうして開発もせずいつまでも三八式歩兵銃だったのか――そう旧陸軍の人に聞いたことがあります。すると情けない返事が返って参りました。『実は三八式歩兵銃の弾丸を、山ほどどころではなく、いくら使っても使い切れないほど作ってしまった。これがある間はとにかく使わなければならなかったんだ』と。そんなばかな考えで国家の運命を賭した戦争に突入したのですかと、私は思わず天を仰ぎました。」(p534)

これは過去の話ではない。2月立憲民主党の枝野幸男代表は西日本新聞のインタビューで「原発をやめるということは簡単なことじゃない」と語った。その理由は、使用済み核燃料は再利用する資源であると約束して預かってもらっている。原発を止めればこれがゴミになってしまう。約束を破れば政府が信用されなくなる。したがって、ゴミの行き先を決めないと原発は止められないというのである。

この理屈は三八式歩兵銃を使い続けた日本陸軍と同じではないだろうか。「山ほどどころではなく、いくら再処理してもしきれないほど使用済み核燃料を作ってしまった。これまで使用済み核燃料を資源であると約束してきたので、いまさら核のゴミだなんて言えない。これがある間はとにかく原発を止めることはできない」というわけである。

六ケ所村再処理工場を閉鎖できない理由もここにある。さらに、リニア中央新幹線も東京五輪・パラリンピックも中止できない理由は同じであろう。早く止めればやめるほど被害は少ないと知るべきである。

原発を優先する政治の在り方は人命よりも三八式歩兵銃の弾丸を重視した旧日本陸軍の価値観に通じるものがある。核のゴミはゴミであると認め、立憲民主党は政権をとったならばすぐに原発を止めるべきである。