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設楽ダムは、なぜ作ってはいけないか

国が愛知県設楽町に多目的ダム「設楽ダム」の建設計画を進めています。これに反対する住民が、大村秀章知事と県企業庁長を相手に国へのダム使用の申請を取り下げることなどを求める訴訟を名古屋地裁に起こしています。

同ダムを巡っては2007年にも提訴しましたが、14年に最高裁で敗訴が確定しました。

しかし新たに起こした裁判は、計画の根拠である2015年度の水需要予測が崩れたから、ダムは必要ないと訴えるものです。予測では34万トンでしたが、実績は27万トンしかなかったと2017年3月に公表されました。

緑の党の会員の小林収さんが、裁判官が代わったための弁論更新として、次のように意見陳述しました。

意見陳述書

名古屋地方裁判所 御中

2021年 5月31日

原告  小林   収

通常ダム建設計画は、利水の点に限って言えば、完成目標年を設定して、その目標年までにこれだけの水量が足らなくなるから、この規模のダムが必要だという考え方で立案されると思います。本件の設楽ダム計画は、2015年を目標年として、その目標年に足らなくなる毎秒0.18㎥の水道用水を補給するために計画されたダムです。

 愛知県民は2007年に、利水の点だけなく、治水や河川の生態系の保全などの観点からも設楽ダムは無駄な公共事業であるから公金支出の対象にならないとして、第1次設楽ダム訴訟として司法の判断を仰ぎましたが、残念ながら受け入れませんでした。

 そこで私たちは、2015年という目標年を注視しました。その結果、愛知県が公表した2015年度の上水道の給水量実績が、県が目標年に必要と想定した需要値を上回り、設楽ダムがなくても、少なくとも利水の点では県民生活に何の影響もないことが事実として確定しました。ですから水道用水に関して公金を使うことは明らかに無駄です。本訴訟の主張はこのように明快で単純ななものですので、裁判所には県民がスッキリと納得できる判断を求めます。

愛知県は、1980年代から建設省・国交省の国策に追随して、無駄な水資源開発事業に県民の血税である公金を支出する失敗を繰り返してきました。

毎秒22.5㎥の利水を目的として、1995年に完成した長良川河口堰の水は、いまも16%しか使われていませんし、2008年に完成した総貯水量6億6千万㎥という日本一を誇る徳山ダムの水は、小規模の発電用以外に使われていません。しかし、それに伴う公金支出は巨額で、長良川河口堰は総建設費1,493億円のうち、愛知県の利水負担金は528億円(利子を含めると約800億円)となり、徳山ダムは総建設費3,550億円のうち、愛知県の利水負担金は270億円でした。

他方、『あいち 財政の概要』によれば、愛知県の県債残高は2012年度に5兆5千億円台に乗ってからも漸増を続け、2020年度末には5兆3,691億円で、県民1人当たり70万8,736円という数字になります。2005年の万博を挟んで、1980年代後半から続けられてきた、水資源開発を含む大規模公共事業への重なる支出がこうした累積債務をもたらしてきました。このコロナ禍の中では、県債残高は増えることはあっても減ることはないでしょう。後代に大きな借金を残して食い逃げするような県政は、県民として恥だと言わざるを得ません。

私は、このような愛知県財政、公共事業政策を許してきたことに対して、司法も責任を免れないと考えます。

確かにダムは、1970年代までの戦後復興、高度経済成長の時代には、経済活動の振興のために一定の役割を果たしてきました。しかし、二度のオイルショックを経て、工業用水の再利用技術が進み、節水型社会を迎える時代になって、利水目的のダムの必要性が疑問視されるようになりました。今後は急激な人口減少社会を迎えますから、利水ダムはますます必要がなくなります。

しかし、行政はいったん計画したダム建設を止めようとはしません。その姿勢は、ダムの必要性の議論よりも、ダムを造ること自体が目的になっているようです。そのため、行政に政策変更を迫る途を閉ざされた住民が、残された手段としたのが本件のような住民訴訟です。

ところが、これまで裁判所は、住民が利水の点で主張する事業者側の需要想定値と実績値との乖離の事実は認めつつも、「水源施設整備には長期間を要するから、長期的な視点に立って、水需要の見通しを立てる必要がある」という極めて曖昧かつ抽象的な論理で行政の自由裁量権を認めてきました。この司法のお墨付きによって、行政は、住民からいかに異議申し立てがあろうとも、自らの政策を点検・反省することなく、無駄な公金支出を続けることになってしまったのです。

 時代の変化や住民の要望に対して適切に対応できない行政に対して、まさに「長期的な視点に立って」示唆・苦言を呈することは、決して司法の逸脱行為ではないと考えます。

 私は本陳述をするにあたって、設楽ダムの工事の現状を原告の仲間に案内してもらいました。どこの出入り口も厳重な柵と監視カメラと「立入禁止」の看板がありました。その内側ではブルトーザーなどの工事用の車両が動き、ダンプカーが出入りして入ました。赤茶色に削られた土肌には、それを隠すように

吹き付け工事がされていました。

 私はここに使われている税金の何%が設楽町の人々の懐に入っているのだろうかと考えました。それに、その収入も土木工事が終われば途絶えてしまいます。

こうした税金の使い方はやはり間違っていると感じました。

 設楽町の人々の生活を支えるためには、第一次産業の育成の観点から中山間地域のハンディキャップを克服できるような大胆な財政的配慮が必要です。

東三河の中山間地域の人々のためにも、行政にこれまでの誤りを気付かせるような司法の判断を切に求めます。 

               以 上