緑の党・東海

お母さんたちの命を守る運動

そんなばかな事で国の運命を賭(と)したのか?!

週刊金曜日 10月23日号に掲載される
会員のA. Niwaさんの寄稿です。

【私の「戦後70年談話」 現在に残る三八式歩兵銃の弾丸】

中学の時、ご自身の戦争体験を語ってくださる先生がいた。当時55歳と言っておられたので、もしご存命であれば今年で98歳であろうか、彼が言うには、「戦争が始まったばかりのころはアメリカ兵も日本兵も弾丸を一発ずつ撃ち合っていたのだが、やがてアメリカ兵は自動小銃でダダダッと撃ってきた。これでは戦争に勝てるわけがない」というのである。

零戦を作った優秀な日本がなぜ自動小銃を作らなかったのか。長年疑問に感じてきたのだが、先日半藤一利氏の『昭和史 1926-1945』を読み、この疑問の解答を得た。一発ずつ撃ち合って いたというのは三八式歩兵銃と思われるが、半藤氏によれば「日本はどうして開発もせずいつまでも三八式歩兵銃だったのか――そう旧陸軍の人に聞いたことがあります。すると情けない返事が返って参りました。『実は三八式歩兵銃の弾丸を、山ほどどころではなく、いくら使っても使い切れないほど作ってしまった。これがある間はとにかく使わなければならなかったんだ』と。そんなばかな考えで国家の運命を賭(と)した戦争に突入したのですかと、私は思わず天を仰ぎました。」ということである。

長年の疑問が解け腑に落ちたのは良いが、これははたして過去の話であろうか。たとえば、原子力発電について考えてみよう。原発でつくられる電力はその時代にすべて消費し尽くされてしまうが、使用済み核燃料が残る。この使用済み核燃料は現在に残る三八式歩兵銃の弾丸ではないだろうか。そう考えると核燃料サイクルが完全に破綻しているにもかかわらず、高速増殖炉もんじゅと六ヶ所再処理工場を継続する理由が見えてくる。「山ほどどころではなく、いくら再処理してもしきれないほど使用済み核燃料を作ってしまった。これまで使用済み核燃料を資源として取り扱ってきたので、いまさら核のゴミだなんて言えない。これがある間はとにかくもんじゅと再処理工場を継続しなければならない」というわけである。

さらに大開発事業リニア中央新幹線もまた三八式歩兵銃の弾丸である。リニアはしばしばコンコルドに喩えられるが、私は戦艦大和だと思っている。これまで巨額の資金をつぎ込んできたので、今さら計画を白紙に戻すわけにはいかないのであろう。金余りの日本においてJR東海はいくらでも資金を借りることができるが、この巨大事業が赤字となった時、巨額債務は不良債権化し国民負担として重くのしかかってくることは必至である。リニア中央新幹線が戦艦大和のように何の役にも立たず地底深く沈んでしまわないかと危惧するのは私だけではないであろう。

安倍晋三首相は600兆円のGDPを目標に掲げているが、GDPなどというものは前世紀の価値観であって日本のような成熟社会にはふさわしくない。人の暮らしよりも経済成長を重視するこうした安倍政権の価値観は人命より三八式歩兵銃の弾丸を重んじた旧日本軍の価値観に通じるものがある。