- 投稿日:2025年03月12日
- カテゴリ:声を上げよう
A.Niwaさんが、3月8日、原発ゼロ名古屋アクションにて、緑の哲学を詩にして訴えました。

緑の哲学
はたして資本主義の歴史は発展の歴史だったのでしょうか
かつて地球上には様々な暮らしがありました
サバンナの狩猟採集、ラクダに乗った砂漠の遊牧、羊を飼う草原の放牧
そして日本の水田稲作
はたしてこれらは時代遅れの暮らしなのでしょうか
ダーウィンの進化論によれば、生物進化は適者生存です
強い者が生き残る強者生存でもなければ
賢いものが生き残る賢者生存でもありません
まして、金をたくさん稼いだものが生き残る金持ち生存ではない
適者生存とは環境に適応するものが生き残る そういう意味です
アフリカのサバンナにも、アラビア砂漠にも、モンゴル草原にも都市が建設され
とても持続可能であるとは思えません
ドイツの作家のエッカーマンは、『ゲーテとの対話』を書き残しました
「もし世界というものが、これほど単純でなかったら、いつまでも存在することは不可能だろうね
この貧弱な土地は、もう数千年も前から耕されてきているわけだが、地力はいつでも同じなのだ
ほんの少し雨が降り、ほんの少し日があたれば、春を迎えるたびに緑が萌える
そしてそれがずっとつづいて行くのだ」
物理学者アインシュタインは語っています
「同じことを繰り返し、違う結果を望むこと、それを狂気という」
原発回帰は狂気への道 脱原発こそ正気への道です
軍事産業とAIを肥え太らせ
AIに監視されながら、これに電力を供給するならば
私たちは自由な理性を失ったAIの奴隷です
これまで数限りない生物が、この地球に生まれては死に
わずかに化石を観ることはできますが、ほとんど何の痕跡も残してはいません
自然はゴミを一つも残さない完璧なリサイクルシステムでした
ところが現在、私たちの脳細胞のなかにまで
ナノプラスチックという廃棄物が蓄積しています
とても正気とは思えません
人間は自由な理性を持つ生物です
大地と海が放射能で汚染されてしまったならば
私たちはどうやって生きていけばよいのでしょうか
リニア、AI、そして戦争
これら核や原発を必要とし
放射能をつくり出すものと
共存することはできません
原発の末路は二通り 事故か廃炉か 壊れるか壊すか
壊れる前に壊す 必ず廃炉にできます