緑の党・東海

政治塾

第3回 政治ギャザリング 「新しい秩序を模索する ~脱成長経済について考えてみる~」

緑の党会員・油田陽一朗さんたちが、暮らしと政治を語り合う「政治ギャザリング」3回めを4月22日開きました。今回は、「脱経済成長」について考えました。カフェ「えんがわ」の美味しいスイーツと飲み物を味わいながら、オープニングアクトとして宮嶋哉行さんの即興ヴァイオリン演奏から、政治ギャザリングが始まりました。

翌日に、油田さんが参加者に寄せた感想をどうぞ。

****油田さんの感想****

穏やかに暮らしたいけど、感じる違和感

(略)
おかげさまで4/22第3回目のギャザリングを有意義に、楽しく、まじめに催すことができましたことお礼申し上げ、僕(主催者の一人、油田)の感想をすこし記してご報告に代えさせていただきたいと思います。

日常生活を自分の価値観、考え方を大切にしながら出来れば穏やかに暮らしたい、じっさいそうしている、そんな多くの人々が、一方で感じる、世の流れ、社会の大勢のあり方に対しての違和感あるいは抵抗感も、たまには集まって気楽に話してみよう、、、というのがこの政治ギャザリングの開催主旨でしたが、一体どーなることかと手探りだった1、2回を経て今回は、初めて具体的なテーマとして、その“おかしくなっている世の流れ” の原因とその変換に繋がる道筋の一つとして、『脱成長経済』という考え方を掲げ、それについて考えてみようという試みをしてみました。

*ちなみに第1回 第2回 はこちら。

さて、それについての意見が出て深い本格的建設的議論が出来ることを期待しそれなりの準備をして臨んだわけですが、果たして結果は、、、うーん、、主催者として、まぁ本格的スタートのための学びを得た、、、といったところでしょうか。
この脱成長経済は一つの考え方としてもう既に体系を有するもので、僕とその一派はそこに共鳴しているわけですが、その中身についてよく理解出来るような説明が出来ていたのか、は先ず重要な検証ポイントだと思いますが、どうだったのでしょう、、、

経済成長は物質的豊かさをもたらしたが、環境と人間関係を破壊した

提唱しました話の大きな骨格としては、、物質的豊かさをもたらせてくれた経済成長がその機能を有効に働かせていた時代に疎かにしていたその負の側面が、今や深刻な環境破壊、人間的生活の破壊を顕在化させるに至っている、、というものでした。経済成長至上主義より本当はずっと僕たちの幸福にとって大切にすべきことがあるのでは?ということですね。こういうことだときっと殆どの人は「そうだね」と思うと思います。

 

効率・経済優先は地上の法則か?

 

でもでは、実際どうしていけばいいかということを考えた時には、どの程度の経済優先を改めるのかということになり、経済優先は目に見えないところまで行き渡り浸透してまるで風習のようだし、また動植物が行動の効率を求めて進化するこの地上の法則に根ざしたところと同意語ではとも考えられる、、といったところまでの幅のある議論になるのかなと感じました。効率的に(ほらね、もう効率とか言ってるし…)議論を集約するため、そういった経済優先性と社会の仕組みとしての成長経済は、いったん分けて考えると設定したほうがよかったかもということなんだけど、その辺りはもうひとえに僕とそしてその一派の実力不足だと大きな反省をしています。

 

政治・社会の話はタブーじゃない


ということで、参加者の皆さんの発言は様々なそれぞれの想いや視点からの、もっといろんな意味で幅広いものになりました。みなさん話し出すと“言いたいこと”はいっぱいあるんだって改めて知りました。時間制約が大きい中で真剣にご自分の考えを話すことをしていただいて、聴く方もどの意見にもちゃんと向き合おうとされていて、本当に皆さん素敵な大人で素晴らしいと思いました。
会場には終始笑顔も絶えず、和やかな雰囲気で普段タブーな政治・社会ネタで気軽におしゃべりできる場としては、やっぱりとても有意義だったと思います。普通の日常のいろんな場所でもっとそういう話題のハードルが下がることに少しづつでも繋がればと思います。
(略)

****参加者からの感想****

 

人々を不安にさせてがむしゃらに働かせる社会

 

Mさんのお考えのシェア、とても素晴らしかったですね。端的で、ご自分の感情や生活に即した感情の吐露と、宣言でいらして。美しかったです。 おとなが、自らのこどもたちに“憧れ”を提供する。 したいことを自分のなりわいとする。自分の子供を愛する。共同体を愛する。とても自然な姿だと思います。 美しい環境や、ご自分を守るスタイルだと思います。 “成長”経済は、“成長”することが目的なのですね。“今のままの自分ではいけない”“今のままの社会ではだめだ”と不安や恐怖という悪夢を人々に見させて、がむしゃらに働かせてお金を生み出しているのだと改めて感じました。

 

企業広告が、希望と自制心を削ぎ、物を買わせる

 

それに気づいたら、そっとその場を外れる。Uさんがおっしゃられていた様に、そしてその気づきをシェアする。大事ですね。 『スタンフォードの自分を変える教室』というベストセラーに、いけないとわかっている事をしてしまう心理として、 「人々に闘争本能や競争本能を喚起させ、“自制心”を外すためには、“自分の生存が危ぶまれている”と本能に訴えかけると効果的だ。不安時に出るドーパミンを放出させる事で、人が持っている、希望をもって物事に取り組む「自制心」を司る“意思力”を削ぐことができる」旨のことが書いてありました。 そして、企業はその人間の性質を使い、広告を作っているのだとか。 悲惨な事件を流すニュース番組に、宣伝を出すと、高級車が売れる。夜の“くつろぎの時間”に社会がひどいものであると刷り込むことで、「今」必要でない、高額なものやサービスが売れるのだそうですね…。 ご本には、その闘争本能を煽る広告的作戦から自分や大切な人々から守るために、 “自己を見つめる”ことをすすめていました。著者ケリーマクゴにガル女史はヨガのインストラクターでいらしたので、ヨガや、人が心地の良くなるエクササイズ等を提案していました。わたくしは、ARTも、その“自己を見つめる”手法だと思います。

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緑の生き方、緑の社会のあり方をこれからも考えていきましょう!